めぃの鬱日記

日々の憂いを吐き出す女子大生のブログです。

自分が死にたいことで安心する

「今日もちゃんと死にたかった」

今日もちゃんと死にたかったということを確認して私は私を落ち着かせる。

「あれ、生きたいかもしれない」と思ってしまうことが一番怖い。死にたいままの私でいい。そして私は近いうちに死ぬ。それでいい。それがいい。

みんなは私を生かしたいみたいだけど、私は何としてでも死んでやろうという気持ちでいる。これは別に腹いせでも何でもない。私は、この出来損ないでダメな私を否定したい。終わらせたい。だから死ぬことを決意した。

みんなが私に生きてほしいという気持ちは痛いほど伝わっている。愛されているなぁと嬉しくなる。ありがとう。

死ぬことについて、生きることについて、人よりたくさん考える機会が私にはあった。

だからたくさんの想いがある。

考えすぎてわかんなくなっちゃてるけれども。

 

死ぬことは、私にとっての救いであり、武器であり、薬でもある。

私にとっての死は、すべてからの解放である。死後の世界だとか、宗教的に自死は禁忌だとか、クソ喰らえだ。でも、私は弱い人間だから、ほんとに地獄があったらどうしようとか、自殺者は天国に行けないなどの記述を読んだら普通に死ぬのが怖くなってしまう。でも、怖くても私は死にたい。今の、この生きている辛さから解放されたい。

死後の世界なんてあって欲しくない。死んだらそこですべてが終わって、私からは考えることも感じることもすべてを取り上げて無にさせてほしい。

死は無であって欲しい。それが、私にとっての死の魅力であって救いだと感じる部分である。

死ぬことは、時に強力な武器になる。私の死にたいは本物だ。かまちょでもなければ嘘でもない。それは間違いない。でもそれを翳すことで、人は心配し、優しくしてくれる。たまに、人をひきつける武器にしているのではないかと自分で思ってしまう時がある。屑で最低だと思う。そんな自分を殺してしまいたいけど、そうすることでしか人は私に寄ってこないのではないかとも思う。私には何の魅力もないし、こんな空っぽな私を知られたらきっとみんな離れて行ってしまう。あぁ、考えるだけで嫌気が差すね。死んでしまいたい。

そして、死ぬことは私にとって最大の特効薬だと思っている。

「どうせ死ぬんだし」「近いうちに死ねるんだから」

この考えのおかげで、乗り越えられた壁や苦難がたくさんあった。どうせ近いうちに死ぬんだからもう少しだけ頑張ってみよう、と思うことで私は私を保つことができる。

高校1年生で死を決意してから、全日制の高校を辞め、無事に通信高校を卒業し、大学受験を乗り越え、自動車の免許を取り、今、好きな英語を学べる第一志望だった大学で女子大生をしている。死ぬことを考えているほうが私は頑張れるんじゃないか?でもそれは結局最終的に死ぬということが前提である。そして、そろそろその時が来た気がする。もう、限界だから終わらせようと思う。さて、どうやって死のうかなぁ。