めぃの鬱日記

日々の憂いを吐き出す女子大生のブログです。

私の病気について

今日は私の病気について書いていきたいと思う。誰かの役に立つかもしれないし、自分の病気を改めて振り返ることもできる。長くなるけど、読んでもらえると嬉しいな。

私は中学1年生の時に反復性鬱病性障害を患った。

最初は原因不明の胃腸の激痛から始まり、小児科で過敏性腸症候群と診断された。過敏性腸症候群と診断されたときに、もし少しでも鬱状態に陥っているのならば、すぐに精神科に行くことがおすすめです。私は鬱状態になってから1年半、精神科にかかるのに時間がかかった。ママが「病は気から。鬱は気合で治る。」と精神科に通わせてくれなかったから。でも決して鬱病は気合でなんか治りません。自分で「あれ、体調がおかしいな」と少しでも思ったなら、早急に専門の病院に行きましょう。病気が長引いてしまっているのはこの期間があったからだと私は思っている。

それから早7年、寛解とは程遠い毎日を送っている。

私は、主に反復性鬱病性障害、気分変調性障害、乖離性障害、パニック障害人格障害などの病気を持っている。

反復性鬱病性障害、気分変調性障害は、基本的にほとんどずっと鬱な状態が慢性的に続き、薬も効きにくい厄介な病気だ。今まで色々な薬を試したがイマイチ合う薬に出会えずもう7年経とうとしている。この病気のせいで私は沢山辛い思いをしてきた。思うように動いてくれない体、場面緘黙により思うように動かない口、そしてそれを許せない私。何もできない日が何年も続き、私は全日制の高校を辞めざるを得なくなった。病気のせいで私は私の人生を狂わされている。こんなの、望んでなかったよ。

これらの病気から逃げたくて、私は心理学的に言う「回避行動」というものが昔から多かった。しかし、それが最近悪化し、意図せずに回避しようとして乖離状態に陥るようになってしまった。それが、乖離性障害。

脳がもう何も考えたくなくて、急にスイッチを切る。意識はあるのに急に何も聞こえなくなって何も考えられなくなる。体が動かなくなる。そして声掛けに反応、応答ができずただただ一点を見つめることしか出来なくなってしまう。感覚的には、なんだかそこに私がいないような、真空のカプセルの中にすっぽり閉じ込められたかのような感覚だ。うまく言えないけど、変な感じがする。

そしてそれも悪化して今度は意識を失うようになった。

更に嫌な現実から目を背けたくて3歳児の何もできない、何もわからない赤ちゃんの人格を作り出した。一般的には「退行」と呼ばれる症状らしい。

こうして私は二重人格となってしまった。

勝手に別人格が私の体を使って生活をしている。私を侵食してゆく。

日々悪化していく病状、何年も苦しんできたのに報われない毎日。私は、何の為に生きているんだろう。

中学生の時から、自傷行為がやめられなかった。制服のポケットには常に小型のカッターナイフが入っていた。腕を切ると、切った傷口をなぞると、何故か安心した。

私には左腕の感覚がない。高校生の時、腱が見えてしまって30針縫う大きな傷を自分で作ったからだ。

もしこのブログを読んでいる、自傷行為が辞められていない人がいたら、どうか自分が後悔しないように切りすぎには注意してほしい。傷痕も、痛々しく残ってしまうから。

私は腕が真っ二つになりそうなくらい切ってしまった傷痕が今でも残ってしまっている。夏に半袖を着ていると、周りからの視線が痛い。見られている気がしてしまう。

全日制の高校に行けなくなり、勉強が出来ない、学校に行けない自分を責めに責めた。そうして私は自分を否定したくて首を吊った。失敗に終わってしまったけれども。そこから私の中には根強く自殺願望が残ってしまっている。どうしたら死ねるのか。何をすれば死ねるのか。そればかりを考えるようになり、死を希うようになった。

初めて首を吊ったとき、ママは私の首に残った真っ青な大きなアザを見て、急いで精神科に連れて行った。それから9カ月もの間、鍵のかかった閉鎖病棟に私は閉じ込められた。自殺防止のために数センチしか開かない窓、保護入院のため外には出られず、碌に外の空気を吸えない毎日を送っていた。机とベッドしかない病室で私は毎日死を願いながら泣いていた。死を願わない日はなかった。

退院しても自殺願望は消えず、ソレは今でも続いている。今年は沢山首を吊ったし、走っている車に飛び込もうと何回もしたし、駅を通過する電車に飛び込もうと何回も考えたし、灯油やハイターを飲んだりした。でも、それでも私の身体は憎いほどに健康体で死ねずに今ももがいている。

今持っている病気や障害と一生付き合っていかなくてはならないと医者に言われている。私はそんな人生、御免だ。だから早く終わらせて仕舞おうと思っている。

どうか早く死ねますように。何も望まないから、ただそれだけを願って私は今日も息をする。